Running On The Winding Road 20111121

すごく危ないコラム。

20150828

2016.3.10にken yokoyama日本武道館で8年ぶりに、ライブをすることになった。
8年前は、全く違うバンドに酔いしれて、追っかけていた。
いつか、武道館でken yokoyamaを。
なんて、わがままを思っていたが
この武道館に行けたら34歳で最後のken yokoyamaのライブになるだろう。

自我が発達し始める中学生の頃に、許されていた情報源はラジオしかなかった。
10代は、いろんな音楽を聞いた。
バンドもやった。
音楽で食っていこうと思っていた。
割と、本気でアーティストになるためにいろんな努力をした。
大学も遊べる大学に行く。と、平気で言っていた。
17歳のときに、学校に行きたくなくて適当に同じくらいの男の子と遊んでばかりいた。
本当に、適当すぎて大学受験の1か月前に妊娠した。
当時、もう巻き返しは効かないとわかりつつも必死で受験勉強をしていたあたしには、妊娠よりも受験勉強だった。
妊娠したことは、相手に伝えつつも連絡がなかなかつかなかった。
結局、大学受験は大敗を喫し、浪人が決まったものの予備校に入れてくれるほど、親は甘くはなかった。
もう、おなかの子はおろせるか、おろせないかぎりぎりのところまで来ていた。
親に話したら、確実におろすのは目に見えていた。
とにかく、冷静に考えて図書館で妊娠の本を読んで、仕組みを知って
あたしは、決意した。

産むしかない。

この考えが出るのは、案外とスマートだった。
あとは、おろせなくなるまで、親をごまかし続けた。
相手の男とは、ほとんど連絡は取れなくなっていた。

親に、妊娠がばれたときは、もう7ヶ月だった。
親は、なんとしてもおろして欲しかったみたいだが、あたしの意地だった。
結局、9月に元気な男の子を産んだが、相手の男は立ち会い出産はしたが、育児に参加できるような根性は持ち合わせてなかったので、自然に連絡が取れなくなっていった。

赤ちゃんと毎日いる生活は、非常につまらないものだった。
一日一日に見れる成長は、楽しいものの、周りのみんなは合コンやらサークルやら合宿やら楽しく過ごしていた。
あたしは、音楽番組を見たり、金八先生見たりする毎日。
いい加減、なにかに頼りたかった。
そこで、閃光のように現れたのがBUMP OF CHICKENだった。
とにかく、20代はBUMP OF CHICKENに傾倒した。
ライブに行き、CDを買い、全国までライブを追っかけ、相当な額を払っていた(笑)
その間、結婚や出産もしたが、長くは続かなかった。
あたしには、音楽しかなかった。
20代のころは、これでもまじめに仕事をしていた。
しかし、25歳のときに、いきなり会社に行けなくなり、出来ていたことができなくなった。
最早、自分でも理解できなかった。
仕事と子供と地位を失ったあたしは、
泥沼の中で生活していた。
適当に、働いてライブに行く生活。
いつまでも続くわけでもないのに、また適当に生きていた。


30代に入って、ken yokoyamaを知った。
中学生のときに聞いていたHi-STANDARDのギターリストだ。
フェスで何回か聞いたが、あの頃は34歳のときに、そんなに傾倒するとは思わなかった。

いま、あたしを助けているのは明らかにken yokoyamaの存在だ。
電車やら、どこでも、ところ構わず泣くようになった。
実直で、真っ直ぐな詞が好きだ。
ken yokoyamaを、教えてくれたのは同居人のまんぞくさんだが本当に感謝している。
もう、二度と一緒にライブを見ることはないかもしれない。
でも、明らかにあたしの人生を変えた。

適当で、惰性の人生。
まだ、なにをやるかは決まってないけど
なにかはできると信じてる。

2016.3.10
日本武道館でお会いしましょう。


それでは。ごきげんよう。